最近のiPhoneはデザインをもっとちゃんと考えるべきだ!(怒)
新年早々、悲しい出来事があった。
というか、ちょっと怒っている。
11月に(1円という破格で)買ったiPhone8の背面がヒビが入ってしまった。
割れてから改めて気づいたのだが、なんと背面がガラスなのだ。
表面が割れるというのはちょいちょいある話で、私も何度か割ったことがあるので、買ってすぐ画面保護ガラスを買った。
が、まさか裏面もガラスだったとは。。。汗
スマホカバーをしない派の私は大きな失敗に気づいた。
(そしてすぐに買った)
確かにそこらへんに雑に置いておくと、よく滑って落ちてるなと思っていた。
そして、小さな子供がいるので、年中スマホを手にとっては落としている。
つまり落とし過ぎなのかもしれない。
が、しかし、スマホの利用状況を考えれば、落下に強いとかある程度タフにできているべきだと思う。
だいぶ前に使っていたiPhone6は背面が金属だったから、割れるなんてことはなかった。
削れたり、へこんだりするくらいだった。
こういう利用文脈を考えれば、iPhone8がプロダクトデザインとしてあまり優れているとはいえない。
(あまり技術に明るくないのでよく知らないが、ワイヤレス充電にあたっては金属は不可とかだったのかもしれないとはいえだ!!)
見た目のちょっとキレイなだけのデザインを良いデザインとは呼べない。
結局、ダサいスマホカバーをつけないと利用に耐えられないデザインなど糞だ!
壊れる前提で月額課金のAppleCareに入ることを必須とする商品設計とかありえない。
バカ言うな!
年明け、減収の噂で日本株価を下げたApple社だが、変態的なデザインマニアともいえるカリスマ経営者のジョブス亡き後、金儲け主義のティム・クックでは支えきれなかったのだなぁ、Apple社は本当に終わってしまったんだなと思った。
GAFAの脅威という話は最近よく聞くが、創業のカリスマ経営者が居なくなったあとはあまり脅威ではないのかもしれない。
日本だって30年くらい前はバブルで浮かれていたが、いまや世界の中でぜんぜん冴えない存在になった。
盛者必衰ということになるのだろうか、うーん、諸行無常。。。涙
新しくて魅力的な会社が出てきて、今よりもっと楽しい世の中にしてくれるといいなと思う。
iTuneは幸せな記憶のタイムマシーンかもしれない
今日、久しぶりにiTunesで音楽を聞いた。
夫は音楽好きだったので、結婚前も含めて一緒にくらし始めてから、
私のiTunesを聞くことはあまりなかった。
もっと色んな音楽を聞きたい、知りたいという情熱も30代前半くらいでだいたいなくなってしまったこともあり、自分で積極的にあまり音楽をきかなくなっていた。
音楽への興味があまりなくなったことに気づいた当時は、年をとるって寂しいなと思った。
それはさておき、とにかくとても久しぶりにiTunesでかつて自分の好きだった音楽をシャッフルで聞いてみた。
シャッフルしていると思いがけずな音楽と再開する。
音楽とセットでいろいろな思い出が当時の体温で押し寄せてくる。息づかいさえも聞こえてきそうなくらいの(ちょっと美化されていると思うけれど)リアルな記憶が蘇る。
大学のすてきな先輩とのデートに向けてウキウキしているときに聞いていた。ナラ・レオンの明るいメロディなのにかなりひどい歌詞の曲(蝗に全部食べられてしまって困ったみたいな曲)。子供が生まれたら聞かせたいなぁとぼんやり思っていた曲だ。
Marcha dos Gafanhotos
https://www.youtube.com/watch?v=5gDl_UHuqi4
好きだった近所の古本屋さんがくれたCDの中に入っていたNovos Baianosのちょっと切なくて、やさいいメロディ。1年以上立ち直れない、ひどい失恋をした。
A Menina Danca
https://www.youtube.com/watch?v=9HRX3SMy8FE
いまの夫が週末に泊まりに来て、朝ごはんを食べてとても幸せだった時に好んで聞いたやくしまるえつこ・・・
ロンリープラネット
https://www.youtube.com/watch?v=CLKO4yWY-0g
なんのかんので、恋したりウキウキしているところは一番に思い出す。
自分の好きな歌、好きな人との楽しい時間。
40歳を過ぎたけれど、人生はまだ半分しか終わっていない。
これからもまた楽しい恋がしたいなと改めて思った新年、仕事始めの前の日でした。
(って、いっても自宅で仕事している。)
そんなブログを書いている今流れてきたのは小沢健二。
愛し合いされて生きるのさ〜。だって。
映画「永い言い訳」に学ぶ、男の喜ぶ「さしすせそ」とダイバーシティの実践に関する考察
今週末は衣替えも含めた部屋の片付けがあったので、作業中見れる映画をアマゾンプライムで物色。
前から見たかった映画「永い言い訳」を見た。
落ち目の小説家(もっくん)が妻(深津絵里)を交通事故で失うという話。
それも浮気相手との情事中に。
浮気の理由は大成する前と態度を変えない妻が気に食わないから。
若い子(黒木華)と密会、浮気し、わかりやすい賞賛と尊敬の言葉でプライドを保っている。
妻役の深津絵里は早々に死んでしまうのだが、偏屈な夫に寄り添う、妻の愛がものすごく伝わってくるが、主人公のもっくんはちょっと後悔している封ではあるが、結構淡々としている、悲しみの感情があまりわかないし、悲しみ方がわからない。
普通に考えると結構イヤな感じの話だ。
が、この主人公(もっくん)は基本いい人なので、不思議とムカつかない。
妻と一緒に旅行していた親友の遺族の子どもたちのお世話をなんとなくしてしまう。
親友遺族と主人公の不思議な関係がとてもおもしろい。
ストーリーの大半はこの家族との交流を描いている。
家族ではないけれど、彼らをとても大切な存在になっていく過程が描かれる。
こんなことなら奥さんを大事にしてあげればよかったのに、と思ってしまうようなほど彼らのことを大事にする。
妻の親友一家は、(夫にとっては)妻を、(子どもたちにとっては)母を失ったことに伴う悲しみや生活環境の悪化、(忙しすぎるため)父不在の家庭における子供と父の関係性の悪化などをあるが、最後はきちんと家族の絆を取り戻し、なんかほっこり終わる。
で、主人公もこのとの交流を通して、妻との関係を見直し?、小説を書き上げる。
ただ、最後まで妻の死についてちゃんと泣くこともない。
結局は小説のネタにしてしまうエゴとプライド、弱くて、悲しくてやさしい男の話だったようにも思える。
愛してくれても、わかりやすく尊敬してくれない妻のことをうまく愛することはできなかったのだろう。
男が喜ぶさしすせそ(「さ」=「さすがですね!」、「し」=「知らなかった!」、「す」=「すごい!」、「せ」=「センスいい!」、「そ」=「そうなんですか!」)というのは本当なんだなと思ってしまいました。
私もここのところ(「さしすせそ」的精神)が、足りないので、やったほうがいいのかな!?
男と女は脳みそが違うのだから、それを知った上で、イヤじゃない範囲で喜ぶことをしてあげる、歩み寄ることも必要なのかもしれないなぁと思いました。
対等な男女の愛ってやはり存在しないのかな!?
という疑問も浮かび上がってきますが、さりげなく「さしすせそ」を実践することで、パートナーにいろいろやってあげようと思うし、好意を持つことにもつながるので、結果的に実際のパワーバランスという意味では、対等もしくは主導権を握れるのかもしれません。
男女にかかわらず、口先では「多様性を尊重する」とスローガンみたいについついいってしまいますが、具体的にはどういうことをするんだろう?と思うことがあります。
「多様性」とは相手の意見を聞くだけでなく、相手の価値観に寄り添うことができることなのかもしれないなぁと思いました。
映画全体がぜんぜん湿っぽくないし、それでいて深いテーマで本当におもしろいのでおすすめです。
ちなみにもう一本見た「君はいい子」も尾野真千子が子供を虐待するというなかなかにショッキングで気になっていた映画ですが、さほどおもしろくなく、がっかりしました。笑
嫌いを増やすと生きにくい
私は「好き嫌い」や「得意と苦手」が割とはっきりしている。
「嫌い」の存在を許容しないわけではないが、「嫌い」だから避ける。
人でも、仕事でも、できるだけ関わらないようにし、距離を取る。
ときにそれが露骨すぎて、「嫌い」ががっつり伝わってしまうことがあるが、とにかく「嫌い」の届かないところに身を置こうとする。
「嫌い」がもっと極端な人は、攻撃したり、怒りっぽくなったりする。
ヘイトスピーチを行ったりする人がそういうタイプだと思う。
私はそういうことは全くしないので、ある種無害な人間だとは思う。
(もちろん「嫌い」が伝わった相手にはちょっとイヤな思いをさせているかもしれないけれど。)
ただ、最近感じることは「嫌い」が増える=関わらない、近寄らないなので、行動や選択に制限が増えてしまうということ。
これは割とやりにくいし、だいぶ損だ。
最近の自覚的苦手な事案はこんなことだ。
よく利用するシェアオフィスは狭い。
定員が8人位の部屋なのだが、8人が一杯になるとちょっと息苦しいくらいの狭さだ。
だから、暗黙のルールでテレカンや電話は共用部でする感じになっている。
が、そのルールに気づかず?(多分無視したわけではなさそう)に、電話をしまくったひとがいる。
その結果、私は彼女のことが苦手になり、やがて嫌いになった。
彼女は悪い人ではなさそうだ。
でも、嫌いになってしまったばかりに、彼女が入っている雑談には参加できず、彼女とばかりではなく、ほかのひととの仲良くなるチャンスや聞いてみたい話を聞く機会を逃しているかもしれない。
それに違うバックボーン、経験を持っている彼女ともっと話してみたい気がする。
が、避けた感じの態度をとっていたので、いきなり態度を変えてすり寄るのもおかしな話だ。
っということで、いろいろ機会損失している気がする。
自分は小さい人間だ、心の狭い人間だ、そのせいでいろいろ損をしているし、今後も損をし続けるだろう。
なので、40代は「嫌い」をできるだけ減らして、もっと自由に生きたいと思う。
東京カレンダーの小説に夢中な件
東京カレンダーのバブル臭のする連載記事を更新されるたびにスマートニュースでよく読んでいる。
否、スマートニュースのトップを端から端まで探して、夢中で読んでいる。
東京カレンダーの小説に出てくる人物があまりにもベタ過ぎる。
そこそこの収入のあるハイスペな人々orその奥様を単純化して描いていて、おもしろい。
バブった感じとがっつきのある上昇志向みたいなものが見えて、品がないところがとてもよい。
スマートニュースで読むゴシップ小説として本当に良質だ。
最近、私が夢中なシリーズはこれ。
連載「恋と友情のあいだで~廉 Ver.~」の記事一覧[東京カレンダー]
学生時代からずっと気になっていたハイスペ婚をした女性と商社マンが不倫する話。
商社マンの男が気持ち悪いところが大変に気になる。
東京カレンダーなので、小説の中に毎回、レストランやホテルが出てくる。
昔は、1つの記事に複数の飲食店が紹介されていたが、
最近は1記事1店のみの回なども多く、
あまり飲食店紹介の軸はなくなってきている。
1シーン濡れ場を作れば、何をしてもOKみたいな感じのロマンポルノみたいなゆるい縛りだ。
いずれにしても、東京カレンダーは雑誌売れ行きも好調らしく、雑誌不況のこのご時世でも部数を伸ばしているらしい。
すごいことだ。
グルメ雑誌にとどまらない、ガツガツとした野心が見え隠れする独特の世界観が今の風なのかもしれない。
朝ドラ「半分青い」に見るクリエイターの業
ここ数ヶ月、NHK朝の連ドラの「半分青い」に夢中だ。
前半は全く見ていなく、主人公が限界を感じて漫画家を辞めるあたりから見始めたのだが、このドラマは様々なつくる人、つくることの喜びと苦しみ、諦めと挑戦が描かれてて、なんとも甘酸っぱい気持ちにさせられる。
1. 主人公の鈴愛(すずめ)が漫画家を辞める
いい漫画を書いていたっぽい(前半を見ていないからよくはわからない)けれど、連載雑誌のファン投票のランキングもだだ下がりで、編集者からイケメン漫画に変えろと方針変更を打診される。やりたくない、限界を感じるなどを理由に漫画家を辞め、なんと100円ショップで働き始めるという話だった。
私も昔仕事で燃え尽きたとき、知人の一人から「広島で金魚問屋の見習いやったら」と誘いを受けたとき、私のことを誰も知らない場所に行って、ゆっくりと金魚を育てる仕事をするとかもいいなぁと心から思ったり。(結局、当時そこまで思いきれずに、東京でフリーランスをしていましたが。)
2. 鈴愛の結婚相手、涼次は映画監督になるために家族を捨てる
100円ショップで出会った涼次と数日で結婚。子供までもうけるが、「映画監督は普通の人間がどんなになりたくてもなれない、普通に家族の幸せにつかっていたらだめなんだ!」という、なかなかの尖ったクリエイター哲学で、鈴愛と子供を捨てて、監督の道を選んでしまう。
時間は有限だ、1日は24時間だし、一緒は長くても100年位。その中で自分の才能が世間に評価され、あと、クリエイターとして最高の時期は短い。10分でも多く、作品づくりや自己鍛錬に使いたいという気持ちはわからないでもない。でも子供はかわいいし、手もかかるからついついそこに時間を使っていると本当に1日は短い。それどころではないのだ。
3. 離婚後の鈴愛は商品づくりに目覚めて、売れない商品を量産し続ける
離婚後は、「涼次に負けていられない、自分も頑張らないと!」と、店を作ったり、オリジナル商品を作ったり、とにかくものづくりに目覚める。
岐阜犬というしゃべる犬の玩具を皮切りに、袋状のおもちゃで袋に向かってなにかをつぶやくと「ふぎょぎょ」と返してくるだけのふくろの玩具やら、きらきらしたきぶんをあじわえる粉など、バカバカしい商品のオンパレード。そこそこのヒットを収めたり、全く売れなかったりを繰り返し、生活は豊かとは言えない状況が描かれている。
このバカバカしい商品がなんとなく自分の考えるものに近い気がして、シンパシーを感じている。私もものを考えて形にするのが好きで、いままでいくつかのWebサービスやら、商品開発・販売などを行ってきたきた。が、ひとつもヒットせず、苦戦している。いままでも、そしていまも。汗
苦しいこともあるけれど、でもなんのかんので楽しいからやめられない。いつもなにか新しい企画をやりたいと思ってしまう。
4. 秀才の幼馴染、律が加わって「そよ風の扇風機」を開発して大ヒットする(らしい)
律は一流大学を出て、家電会社の開発部出身という設定。きちんとした知識と経験がある。そこに鈴愛のアイディア力をきちんと実装できるパートナーとの共同開発。話も終盤で、これが大ヒットしてドラマは終わるらしい。
そう、なんのかんので、アイディアを実装する人がいないとなににもならないのだ。というか、ちゃんとした実装者がいればいろんなことがどうにかなる!、改めてそう思わされる。なので、だれか一緒に新しいもの作りたいエンジニアの方、いませんかー??
当方、Webサービスの企画・設計できます!w
いずれにしても、諦めないで挑戦し続けることが大事だということはわかる。
苦しいけれど、その人生はきっと楽しいだろう。どうせ一度は死ぬのだから、貧乏で食事も事欠くほどでなければ、どんどん挑戦して失敗すればいい。
・・・とは思っているが、子供に不自由させたくないとか、いろいろ思ってしまう今日このごろ。悩ましい・・・。
Googleロンパースはなぜかわいい!?
今日、同じ託児所に着ている0歳ガールがGoogleロンパースを着ていた。
なんともかわいい。
写真に取りたかったが、ひとさまの子供ということもあり、ちょっとはばかられたので、断念。
それはさておき、Googleロンパースはなぜかわいいのだろう?
たとえばMicrosoftだったらあまりかわいいと思わなかったと思う。
AmazonやFacebook、YouTubeもうーん、って感じ。
でも、Twitterはいい。
でも、GoogleもTwitterも私がTシャツ切るのは嫌だ。
GitHubかSlackならいいかも。
これがブランディングなのだろうか?
どうでもいいことだけれど、少し考えさせれられる一瞬でした。